稲城南山とその周辺

稲城南山と多摩丘陵 <遺跡編>

半円形の環壕に囲まれた竪穴住居跡
これはいったいどういう遺跡?




妙法寺北の遺跡

竪穴住居跡と、それを取り囲む半円形の大きな環壕

半円形の大きな環壕は本来の遺跡なのだろうか? それとも遺跡調査のために掘ったものなのか?
それとも・・・・・誰かわざと掘ったもの・・・・?

このあたりは旧サーキット跡地で、最近までは自転車やバイクも時々乗り入れているらしい。
そのためにできたカーブなどかも・・・・

実物が持つ迫力のある遺跡の風景。私にはどうしても何か意味のあるもののように思え、何人かの方に写真を送って問い合わせてみました。

半 円形の大きな環壕の持つ意味についてははっきりした答えは得られていませんが、稲城の里山と史跡を守る会の市村さんから昨年08年11月28日に行われた 現地見学会での資料や写真、および、埋蔵文化財調査の中間報告書のコピーをいただいたので、この項ではそれを紹介します。


埋蔵文化財の調査の概要報告書から


妙法寺北の遺跡調査区域

妙法寺北の遺跡調査の範囲を示す地図。この遺跡の名前はC1区 No.159遺跡。
(南山東部土地区画整理事業地内遺跡埋蔵文化財発掘調査概要 2008.2 玉川文化財研究所)

予備調査で掘られた櫛の歯状のトラックが、T1からT7まで、番号を付けて記入されています。
薄墨色で入り乱れた川のように描かれているのは、旧サーキットコースの跡。
本調査の範囲が太い線で囲んであり、その中央に中世以降段切り遺構(上段と下段)が書き込まれています。

半円形の大きな環壕状のものはサーキットコースのためにできたものではなく、「段切り遺構」というものだということが分かりました。


昨年08年11月28日に行われた現地見学会での資料

妙法寺北遺跡資料2

稲城の里山と史跡を守る会主催の現地見学会(08年11月28日)で配られた資料。玉川文化研究所提供。
平成20年11月20日現在で、発掘調査の結果をまとめたもの。

資料の図面には上下2段の段切り遺構が明確に表現されています。
そのうち、下段の段切り遺構のなかに2棟の竪穴住居跡がH5とH6という記号を付けて描かれています。
上段の段切り遺構には住居跡はありません。
何か小さい穴らしいものが列を作って密集しています。・・・・これまた不思議。

妙法寺の裏から遠望で見えた2棟の竪穴住居跡は、このH5とH6にあたります。
なお、半円形の大きな環壕の壁に掘られた大きな穴はまだこの図面では明確な記載がないようです。

この図面左上には、竪穴住居跡7軒は8世紀後半から9世紀前半の古代のもの(奈良時代から平安時代)と書かれています。一方、段切り遺構2基は近現代と書かれています。

時代の古い竪穴住居を中心にして、それを取り巻く形で後の時代に段切り遺構が作られたのでしょうか?
それとも、下段の段切り遺構は竪穴住居と同時代に作られたもので、発掘調査ではその時代確認がうまくできなかったのでしょうか?


竪穴住居跡の写真

竪穴住居跡

現地見学会(08年11月28日)のときに撮影された竪穴住居跡。

ほぼ正方形の住居跡。丸い4個の穴は柱の穴でしょう。
奥にかまどの跡。
住居跡のある付近は土が黒い。これは住居が作られた当時(奈良~平安時代ごろ)の表土の黒土。


かまどの跡

現地見学会(08年11月28日)のときに撮影されたかまどの跡。

ずいぶん大きなかまどです。
かまどの表面は焼けてやや黄色~赤みがかっています。


妙法寺北の遺跡へのアクセス

妙法寺北の遺跡へのアクセス


遺跡は妙法寺の右裏のトイレの後ろの、短い舗装された坂道から見ることができます。
区画整理事業で遺跡周辺は立ち入り禁止になっているためほかの場所からは見ることができません。
見学する場合は、妙法寺の方に一言あいさつを。

妙法寺への行き方
A.  京王よみうりランド駅-ランド通りをのぼり、途中で右に入り妙法寺。車可。
B. 京王よみうりランド駅-明覚寺-墓地を上って、ありがた山石仏石塔群-尾根道の仏舎利-雑木林の山道-妙法寺
C. 稲城駅-JR貨物線トンネルの上-キノコ栽培所-切通し-山畑のふもとの道-天然の崖-古い山道を登る-尾根道-ゴルフ場の脇を進んで-妙法寺

なお、南山でトイレは妙法寺にしか有りません。


(2009年5月)

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