稲城南山とその周辺


絶好の地学観察地
私たちの住んでいる大地の歴史を考えよう

稲城南山 崖のギョロ目



ギョロ目

  稲城南山。崖の上部(2005年11月撮影)

 崩れて少しなだらかになった土砂の上には草木が生い茂り、徐々に上を目指しています。草木の進出を阻む切り立ったむき出しの地肌は、幾重もの地層が平行に重なった断面をさらけ出しています。その中にあってひときわ目立つのがこのギョロ目(写真中央やや右)。

 何でこんな大きなものが埋まっているのでしょう?

 実はこれは誰かが作って埋めたのではなく、本来あった地層のなごりなのです。ギョロ目の両端に本来あった土地が浸食作用により削られて無くなり、ギョロ目部分だけが残った。その後富士山や箱根の大爆発により火山灰が降り注ぎ、積もって平らな地表になったと考えられます。

 ギョロ目の両端に本来あった土地が浸食されたと書きました。何が浸食したのでしょうか?
私は当初、低地を流れる河川だと思ったのですが、台地の末端を刻む小さな流れだったかもしれません。

 ギョロ目とその下の厚い砂層とのあいだには薄く白い層が走っています。浸食はその層より下には進んでいません。
 ギョロ目の下の厚い砂層は稲城砂層と呼ばれています。下からはい上がってくる植物に隠れて見えませんが、稲城砂層は60〜80メートルの厚さがあるといわれています。

 ギョロ目などが作られた後、富士山などの火山灰は地表を覆って関東ローム層を作りました。私たちは関東ローム層の上で生活しています。ギョロ目の両端とギョロ目の上はこの関東ローム層です。
(ギョロ目自身も古い時代に堆積したローム層かもしれません)。

 稲城砂層は300万年〜70万年前に当時の河口の三角州で堆積したものです。当時は関東平野は海の底で、多摩丘陵も多摩川もなく、古い相模川が稲城近辺で大きな三角州を作り、海にそそぎ込んでいたと考えられています。堆積は長い年月を掛けておこなわれ、その結果は幾重もの横の層として見られます。

 80〜50万年前に土地が隆起し、多摩丘陵が生まれました。河口の三角州の一部だったところが、今では山になっています。
(2005年11月撮影。2006年8月、2007年5月、一部修正)



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